そういうことを僕に求めるのはやめましょうw。ネタが尽きたら、そういう話も増やしていきます。
話が飛びますが、1月は本当に疲れた月でした。卒論とテストとBOJのイベントという3つの宿題があったのです。想像以上に疲れたのがBOJのイベントでした。もっとあっさりと終わるかと思ったら、思いのほかに時間がかかりました。そのせいで勉強にまるで身が入りませんでした。
BOJのイベントには同じゼミ生と参加したわけですが、彼らと食事中にこんなことを言われました。曰く、「浜崎はダメ」だと。これは、「浜崎あゆみ自体がダメ」という意味や「俺が『浜崎のファンである』ことがダメ」という意味など、複数の解釈ができるわけですが、ともかく「僕がダメ人間である」ことは確かのようですw
昨日、高校の友達と話していたのですが、彼曰く、AVEXが日本の音楽を相当ダメにしたらしく、AVEXにいる時点でクソではないか、ということでした。ただ倖田來未よりはまだマシなのではないか、とのこと。浜崎は単なるアホだが、 倖田は下品でアホなようですw(世間的には「エロかっこいい」ということになっています)。
まあ、そんなわけで(?)、僕はわりと浜崎を評価しているわけですが、僕がここでどうして浜崎を評価しているのか、について話してもつまらないので、ちょっと浜崎を通じて「会社とは誰のものなのか」について考えてみることにします。
インターネットで検索してみたらこんな記事がありました。
「エイベックス騒動を叱る 小娘(浜崎あゆみ)に翻弄される上場企業」
このAVEX騒動は結構有名なので皆さんも知っているのではないでしょうか。事実関係はともかくとして、僕が注目したいことは、会社の経営に対して浜崎が発言をしたことが会社の騒動を鎮圧したということです。この現象を通じて、この記事ではこのように評しております。
小娘浜崎あゆみが「松浦専務の辞任が受理されるのであれば、それは同時にエイベックスの終焉を認めることになる。彼の存在とともに浜崎あゆみの行方も決めたい」と移籍を宣言し揺さぶるに至ってはもう会社とは言えない。浜崎あゆみはコンテンツの一つであってエイベックス株式会社では無いのだ。エイベックスが浜崎あゆみを作ったのであり、浜崎あゆみがエイベックスを作ったのでは無いことぐらい誰でも知っている。投資家は松浦・千葉両経営者のマネージメント能力に期待して投資しているのである、これでは会社ごっこだ。エイベックスは浜崎あゆみが稼ぐのではない、エイベックス経営陣が稼ぐのだ。
この指摘をみて皆さんはどのような感想をお持ちでしょうか。僕は、この事件を通じて現在の「会社」という本質が浮き彫りにされているように感じるわけです。
ちょっと議論に補助線を引きましょう。以下の議論はBOJのイベントでも使用した議論なのですが、現在の社会構造は大きく変わりつつあるようです。結論から言えば、「産業資本主義」から「ポスト産業資本主義」へと変化しているわけです。この言葉は、やや無理がありますが、社会学の「生産社会」から「消費社会」へと変化と言い換えることもできそうです。詳しいことを知りたければ、岩井克人の「会社はこれからどうなるのか」を読んでほしいのですが、結論から言えば、現在の会社は「ヒト中心」になりつつあります。逆に言えば、「会社は株主のもの」とはいえないわけです。
もちろん、「会社は誰のものか」ということに対して「株主のものではない」と断言はできません。ただ、今のような社会において株主みたいな「単なるお金の出し手」が大きな力をもてるか、といわれると甚だ疑問だといわざるを得ないわけです。つまり、ホリエモンがいう「会社は株主のもの」という議論は完全な正当性があるわけではありません。
このような「会社論」を続けることは延々とできそうですが、今回あげたい事は、このAVEX騒動が、会社が「ヒト中心」になりつつあることの表れであるといいたいのです。この騒動は、経営者内のゴタゴタが発端なため、「会社における株主の位置」まで議論することはやや飛躍があります。ただ、AVEXという会社は「ヒト中心」の会社であって、経営はほとんどお飾りであったとはいえそうです。会計学でいう単なる賃金労働者である浜崎が実は会社のコアになっていて、浜崎がやめるとなったらAVEXの価値のほとんどが失われてしまうということが明らかになったわけですから。上で引用した記事は、投資家云々言っていますが、「AVEXの生み出す将来キャッシュフローの割引現在価値」がその会社の価値であるとすると、その大部分を浜崎に依存しているということに対する視点が完全に欠如してます。投資家は、AVEXが生み出す将来の利益を考えて投資しているわけですから、マネジメント云々の前に、そもそもその価値の相当が浜崎あゆみに依存するという現実を直視する必要があります。
僕から言わせれば、AVEXに求められているのは、マネジメント能力というより、優秀なヒトを見極めるという「目利き」の能力です(もちろんこれを含めてマネジメントというとおもいますが、上の記事ではその視点はないとおもわれます)。つまり、情報が不完全な社会では誰が有能なのかがわかりません。場合によっては、優秀な人材に自覚がないこともありますし、また、「自分に才能がある」と主張するやつに限って馬鹿ばっかり、ってなこともあります(これを経済学では「逆選択」といいます)。このような、ある意味ではガラクタばかりの中で、優秀な金の卵をみつけることこそが、AVEXに求められているわけです。
さらにAVEXに求められるのは「目利き」能力だけではありません。その優秀なヒトの可能性を引き上げる役割も担っているわけです。具体的には適切な教育を施したり、有効なプロモーションをしたり、といったことです。
以上のようにAVEXはヒト中心の会社だと思うのですが、この記事では「エイベックスは浜崎あゆみが稼ぐのではない、エイベックス経営陣が稼ぐのだ」と言い切ってしまっています。これは、やや的外れなのではないでしょうか。
僕はこのことを一般化して、「今後の会社はヒト中心だ」といいたいのですが、極端なAVEXをあげて、「ヒト中心」というのも早計な気がします。芸能界は極端にヒトが中心になるわけですから。ただ、複雑な世の中を考える上で、極端な例を考えてみるということは有効な戦略です。
経済学は議論のスタートでやや極端な前提を置きます。それを称して、前提が極端だからインプリケーションもクソだ、みたいな批判をうけやすいのですが、じゃあ複雑なものを複雑なまま考えればいいのか、というとそうでもありません。本当に重要な部分だけを残し、あとは捨象してしまうことを通じて、物事の本質がよりよくみえるということは、多くあると思います。
つまり、音楽のような典型的な人的資本が重要になる会社を考えることこそ、今後の日本の会社へのインプリケーソンを導く可能性があるわけです。もちろんここまでの議論は相当雑ですが、僕はこのような騒動が出てきたことが、「ポスト産業資本主義」に以降しつつあるのだなぁと感慨をもってみてしまうのです。皆さんはどうでしょうか。
あとちょっと気になったのですが、上のように記事を引用することは法的にどうなっているんでしょうか。一抹の不安が残ります…。


俺のこと呼んだ?w
あとゼミ生のKさんもお前と同類w
Gは俺の見方だw